推しのいる生活

🕊@_indigodp

菅田将暉へでっかい愛を

 

 

私は“まちがいさがし”という歌が好きだ。

菅田将暉が歌う歌は全て聴くし、いつも異なる感情を抱き、音楽に明るくないが故に全て良しとしてしまうけれど、それでも、この歌には特別な思い出がたくさん詰まっている。この歌の提供先が松坂桃李の主演ドラマの主題歌だったことは一生忘れないし、2019年4月3日の感情の濁流に吐きそうになったあの日のことも一生忘れない。とにかく一生忘れられない記憶をこの歌と共に数多く胸の中に仕舞い込んできた。今もなお更新されている。

また、自分がまちがいさがしの間違いの方に生まれてきたような気がしていた人間だからこの歌を聴いたときにこういう風に言葉に現した米津玄師と見事に歌い上げてる菅田将暉に感動したのもこの曲が好きな要因だと思う。正解の方だときっと出逢えなかったと気にするなって私にとってはいつでも背中を押してくれる曲でもある。

 

 

 

何でこんな話を始めたのかというとここから本題に入る。

2021年11月15日。

菅田将暉さんが結婚を発表した。その日から私はまちがいさがしを聴いて今までに感じたことのない重く暗い感情に苛まれた。何故なのか、菅田さんの、推しの、幸せな決断に対して何故こんなに切なく苦しい気持ちを抱いてしまうのかよく分からなくてしんどかった。2020年12月に私のもう一人の愛すべき推しこと松坂桃李が結婚したが、あの日はマイナスな感情など一つもなくとてつもなく嬉しかった。なんなら推してきて一番喜びを噛み締めた日かもしれない。飛び跳ねた。会ったこともない、何も知らない戸田恵梨香さんに向かって「あなた見る目があるね〜!!👏」なんて思ったりした。めでてえ!祭りだ祭りだ!と喜びながら体内に注ぎ込んだアルコールは最高に美味かった。だからこそ何故桃李くんのときと同じような喜びを噛み締められない自分が菅田さんを応援している一人として嫌だった。自分に最低だと罵ったりもした。本心からではなく形式的にツイートした結婚おめでとうという言葉なんて投げ捨てた方がましだったし、そんな複雑な心情なら祝福の言葉なんてそもそもツイートしなくてもよかった。誰も嬉しくないのだから。

その日からずっと頭の片隅に「何でだろう?」という疑問の答えを考え続けていた。誰かに聞いて分かる問題ならまだしもこの答えは自分にしか答えが導き出せないという難問で本当にずっとぐるぐる考えていた。2ヶ月経って自分の中でハッキリしたことが私は菅田将暉という存在を使って現実に蓋をし続けていたという事実だ。私も菅田も着実に年齢を重ねているはずなのに脳内では2009年のままなのか、2016年のままなのかとにかく学生だった“あの頃”の自分が追いかけていたのだ。菅田将暉の手によって私は「お前ももう大人なんだよ。結婚できる年齢なんだよ、自分の人生どう考えてんだよ」って気がついたら無意識的に見ないようにしていた現実を突きつけられたから目の前が真っ暗になってしまったのだ。

好きだの推しだのという言葉を並べていつの間か私は勝手に菅田将暉を人生の友とし、依存していたんだろう。ずっとその背中を追いかければいいと勘違いしていた、というか幸せな夢を見ていたといった方が正しい表現のような気がする。

今、目が覚めたからこそこうして痛かった自分を言葉にできているのだから。結婚なんてしないと宣言して生きてきたけど実際一人で生きていく覚悟ができているのか、と尋ねられると全然できていなかったのだから。その推しが実際に悩みを聞いてくれるわけではないし、一緒に住んでくれるわけではない、存在によって精神的に支えてられているだけなのにまるで隣にいるかのように、一緒に生きてくれると勝手に私の全てを託して甘えていただけなんだよ。

もう一つ考えられるのはこれも痛いけれど、私はいつの間にか本当に菅田将暉に恋をしていたのかもしれない。失恋したと考えるとこの無茶苦茶な感情に説明がつくような気もする。私は失恋したのか、そっか。寂しいね。そういうことにしておこうか。甘酸っぱい青春の一ページとして。こんな気持ちもう二度と味わえない感情だろうから。

 

 

 

 

 

改めて、菅田将暉さん、小松菜奈さんとのご結婚おめでとうございます。心を込めて、本当におめでとうございます。長い長い楽しい青春を味わわせてくれてありがとうございました。これから先もずっとあなたのことが好きです、愛してます。そして追いかけ続けます、ファンとして。菅田将暉さんという芸能人を応援している者として。私は私なりに自分の幸せを考えて探して見つけて掴み取りますので、あなたも世界で一番幸せであってください。幸せだと笑っていてください。笑顔でいてください。今までありがとう、これからもたくさんよろしくお願いします。